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明くる朝である。
咲世子が早々勤めに上がるとすでに兄妹は起きて、なぜか兄が妹に男物の制服を着せている
ところに出くわした。
それだけならまだしも、その兄が身につけているのも女物の制服。膝立ちで妹のジャケット
を着せている彼の足は短いスカートとニーソックスの間から眩しいほどに白い肌が露出して
いた。
咲世子が言葉を失っていると、ルルーシュがミレイの思いつきだということを説明し、咲世
子はやっと我に返って胸を撫で下ろした。
今日はずっとこんな思いをするのか、と暗澹たる表情を浮かべるルルーシュを咲世子は頭の
先からつま先まで眺め回し、ぽつりと言った。
「ルルーシュ様…おきれいな脚をしてらっしゃったんですね…」
咲世子の言葉にルルーシュの頬が引きつく一方で、ナナリーはくすくすと笑った。
ルルーシュは妹がそうやって楽しそうに笑っているのを見ると、こっそり学校をサボる、と
いう選択肢が消えていく。どちらにせよ、今日を乗り切らねばミレイからもっと無理難題を
押し付けられるだろうことは目に見えているのだが。
ふっと観念したかのような溜息を吐くと、ルルーシュは笑って咲世子に言った。
「じゃあ、俺は先に行くんで」
「あ、はい」
「お兄様、また放課後に」
「ああ。ナナリー、嫌になったら着替えていいからな」
ルルーシュがそう言うとナナリーはまたくすくすと笑った。それを見てルルーシュも笑顔に
なる。
「あの、ルルーシュ様」
それを割って入るように咲世子が言った。
「あの…お気をつけて」
「…はい」
おずおずとした咲世子の声音にルルーシュとナナリーはほんの少し疑問を感じ視線を合わせ
たが、別段気にせず各々学校へ向かった。
それからのルルーシュは、朝までの不安はどこへやら、絶好調であった。

「リヴァル!マジでやってんの、生徒会」
「なになに、目覚めちゃったの?」
「よっリヴァルちゃん!…てか、マジで大変だな」
リヴァルに対するクラスメイトたちの反応は笑い半分・哀れみ半分であった。朝から人に会
うたびにどつかれ、からかわれ、悲哀の目で見られ、最後には必ず笑われた。しかし午前の
授業の二つ目の終わりに近づくとだんだんどうでもよくなってくるから困る。
「けど疲れんな…マジで」
教室移動した科学実験室で丸椅子に座ったリヴァルはスカートを気にすることもなく大股を
開いてルルーシュの前に座りやる気なく頬杖をついた。
「まーでも笑いになってるんならいいですよー。まだね」
言ってルルーシュを見る。するとルルーシュは余裕げないつもの笑みを浮かべた。
「そうか?俺はなぜか今日は朝からいいことづくしだ」
言いながらルルーシュは何げなく脚を組み直すと教室が一瞬ざわついた。リヴァルはその変
化に一瞬あたりを見回したが、ルルーシュは気付かずに続ける。
「登校する途中は恥ずかしかったがな、意外と周りも気にしないものだ。特に何を言われる
こともなく教室に着いたし、HRのあと先生に委員の仕事を渡されたときも他のやつが立候
補して引き受けてくれた。1限目と2限目の間にうっかりペンケースの中身を落としたがも
のすごい速さでみんな拾ってくれたし、今に至っては当番だった実験道具の準備を頼んでも
いないのに他のやつが変わってくれたぞ」
リヴァルは教卓を見ると男子数名が顕微鏡をいくつも机の上に並べていた。
そしてルルーシュに向き直る。
ルルーシュは実験台に頬杖をついて、足を組み、いつものように妙に気品ある雰囲気を出し
て優雅に座っていた。だがいつもと違うのは女子用のクリーム色のジャケットがやわらかい
感じを出し、そしてやはり、脚が違った。普段と同じ脚の組み方でも短いスカートを穿いて
いるだけあって、なんというか、もうギリギリの状態である。
スカートの奥の暗闇とニーソックスとの隙間が、いかんよなぁとリヴァルは思う。そしてク
ラスメイトたちもまた、思っていた。
ルルーシュが何げなく脚を組みなおしたとき、教卓では箱ごと顕微鏡を落としそうになり慌
てふためくクラスメイトの姿があった。
気付かないのは本人ばかりであり、きっとこれは気付かせず、今日を終わらせるほうが友人
思いな判断なんだろうとリヴァルは思った。
「ルル!」
後ろから声がして振り返るとシャーリーとニーナが立っていた。もちろん男子制服で。ニー
ナはルルーシュを見るとぱっと赤面した。
「なんかもう着慣れちゃった感じ?」
リヴァルが言うとシャーリーは笑う。
「やっぱスカートじゃないと動きやすいよね。でもちょっと暗いかなぁ?真っ黒だし」
うーんと首を傾げているシャーリーを見てルルーシュが言う。
「そう?なかなかいいんじゃないか?ニーナも」
シャーリーはドキッとして一瞬言葉を失うがニーナはシャーリー以上に赤面して言った。
「ル…ルルーシュも似合うと思うよ…でも、脚、組むとあぶないかも…」
「は?」
ニーナはそれだけ言って自分の席へと戻っていった。
ニーナはニーナなりに忠告したつもりだったがルルーシュはまるで気付かない。
「てゆか、リヴァルこそ脚そんな広げて座らないでよ」
「だいじょーぶ。体育着はいてるから」
ぴらとスカートをつまむとシャーリーはもう!と言って口を尖らせた。
ふとリヴァルは思う。そう言えば、ルルーシュはスカートの下に何を穿いているんだろう。
ここまできわどく脚を組んでも何も見えないということは、体育着は身につけていないよう
だ。
「ところで今日の昼休み、生徒会は全員中庭でご飯だって」
「何で?」
「会長命令。何でもみんなで固まってたほうが目立つからって」
ああ、そういうこと、とルルーシュとリヴァルは半笑いする。
「あたし今日お弁当持ってきてなくて。ルルーシュたちも持ってきてなかったら一緒に購買
会行こう?」
シャーリーの誘いを受けたところで教師が入ってきて授業が始まった。
今日は顕微鏡での観察で、授業中幾度と班にひとつ渡された机の上の顕微鏡を覗いたが、そ
の度に腰を折って顕微鏡を覗くルルーシュの足の間とスカートの暗闇に教室中がひやひやす
ることになったことも、ルルーシュ本人のみが知らないことだった。

普段購買部を使わないルルーシュたちにとって、昼休みの購買部は酷いとしか言えない状態
だった。
「この中を行くのか」
ルルーシュが言った一言も喧騒の中でかき消されそうになる。
「こうなったらさっさともぐりこんで買っちゃったほうがいいっしょ!会長もお待ちかねだ
し!」
とリヴァルは言うや否や、その塊の中に突撃していった。
「ちょっ…ちょっと〜!もう仕方ないね!あたしたちも行こっ!!」
「あ、ああ…」
男子制服を着ているためなのか、シャーリーはなんとなくいつも以上に覇気があるように見
え、ルルーシュはその背中を追った。
団子状態になっている生徒たちに近づくと自分たちの後ろからもまた生徒がやってきてあっ
と言う間に挟まれてしまった。ルルーシュたちは押されて中ほどまで来たが、これでは後ろ
にも前にも進めない。そして後ろからの圧力は相当なものだった。
これでは前にいるシャーリーを潰してしまう!とルルーシュは慌ててふんばる。周りは男子
生徒が多く、こんな力で押されたらシャーリーは転んでしまうのではないかと心配になった。
男子制服を着ているシャーリーはぱっと見で女子だと気付かれないのもよくない。
そのとき、ルルーシュはふと、背後に違和感を覚えて、びくりと肩を震わせた。
「な、何…」
何かが一瞬触ったような気がしたのだ。
油断したのが災いして力が緩んだ隙に後ろから押されてシャーリーを潰しそうになる。慌て
て、シャーリーの肩を掴んで阻止した。
シャーリーは驚いて振り向こうとするがぎゅうぎゅうで振り向けない。
「ル、ルル??だいじょぶ?」
「あ、ああごめん…」
言ったものの、大丈夫ではなかった。後ろの男子生徒がぴったりと密着して、ルルーシュは
シャーリーとの間に余裕をつくるのに精一杯だった。
そして。
「ちょ…」
ルルーシュが声に出したのは、シャーリーと自分の隙間から見下ろすと自分の脚に、何者か
の手が絡んでいたからだった。
(な、何で…)
これは。
(まさか)
手はつつっと太腿の裏をなぞった。
「…っ!!」
(触られてる!?)
ルルーシュが冷や汗が出るのを感じるとシャーリーが身をよじって聞いた。
「どうしたの、ルル」
「あ…いや…」
(言うか!?シャーリーに!言えるか!しかし…身動きも取れないのにどうしたら…)
そう考えているうちにも脚は太腿を入ったり来たりしている。くすぐったいどころか、どう
にも気持ち悪かった。
ルルーシュがどうすることもできないことをいいことに、背後の男はスカートの裾のぎりぎ
りのところまで撫で上げた。
「っん!!」
普段触られないところに、意図的に触られてルルーシュはびくりと体を震わせると同時に怒
りが立ち込めた。男といえど勝手に触らせてたまるか、と色々な思いから顔が熱くなるのが
わかる。
(リヴァル!リヴァルは…)
辺りを見回すと人と人との間にリヴァルの姿が見えた。手にはパンの袋。すでに要領よく買
ったあとだった。
(リヴァル!)
その念が通じたのか、リヴァルはルルーシュに気付いた。
そしてにかっと笑って、早く買っちゃえよ〜、と言った。
(バカ!!)
ルルーシュは何とか指示しようと必死に訴える。
そのもぞもぞとした動きが仇をなしたのか、ルルーシュの動きに男は気をよくした。
男の手がルルーシュのスカートの中に入った、というかスカートを捲くられたのだ。
「!!!」
ルルーシュは目を見開いて驚く、そんな、バカなやついるのか、死ね!と叫びたいが声が出
ない。
すぐ前にいるシャーリーに気付いてほしいが絶対に知られたくない。
ぴったりと張り付いてくる男の無骨な手の感触に背中に悪寒が走る。
「もっ…や」
リヴァルもようやくルルーシュの異変に気付いて様子を伺って眉をひそめる。
ルルーシュの顔は紅潮し、眉が普段見られないぐらい、ハの字に寄り、目は潤んでいる。
「や、め…」
ルルーシュが渾身の力で男に振り返り叫ぼうとした瞬間、視界の隙間、ぽかんとしているリ
ヴァルの後ろにミレイとニーナ、そしてナナリーが見えた。
(言えない…!ナナリーにだけは知られたくないっ!)
ルルーシュが抵抗できないのをいいことに男はルルーシュの核心に触れようとした。
そのときだった。
事態を察知したミレイにリヴァルが叩かれ、人ごみの中に入って渾身の力でルルーシュの腕
を掴んで、その人だかりから抜け出した。ルルーシュは涙を浮かべたままへたりと座り込み、
リヴァルは犯人の男を捜したが、どれがそいつだったのかわからなく、結局諦めて戻った。
放心状態のルルーシュにミレイたちが駆け寄る。
「ミレイさん、どうかしたんですか?」
ナナリーの声を聞いてルルーシュは我に帰る。
ミレイはすかさず答えた。
「ルルーシュが貧血起こしたみたいなのよ」
「え!?お兄様だいじょうぶですか!?」
「ああ…心配ないよ。ちょっと、立ちくらみ、しただけで…」
「本当ですか?」
心配するナナリーを見てミレイは言う。
「そうね、今日は中庭のごはんは中止にして、クラブハウスに戻りましょっか」
リヴァルとニーナは無言で頷いた。ルルーシュは再び放心状態になって、うなだれたままだ。
その背後からシャーリーが戦利品を抱えてやってきて、うなだれているルルーシュとそれを
心配するナナリーや沈黙する生徒会メンバーを見て、頭の上に大きなクエスチョンマークを
浮かべた。










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