ロロが風邪をひく話


それは肌寒く感じる季節の頃だ。
僕は24時間任務を怠ることはない。最初は自分が誰かの家族のフリをするなんて不可能なこと
だと思ったけれど、今ではうまくやれている自信がある。彼は僕のことを微塵も疑っていない。
当たり前だ。彼は絶対遵守の力で記憶を書き換えられているのだから。
だから、もしかしたら気が抜けていたのかもしれない。

その日の朝、僕はなかなか目が覚められなかった。彼より早く起きなければいけないのに。
ゆっくり起き上がるけれど、体に違和感がある。
けれど仕事だ。起きなければならない。
「ロロ」
ドアが開く機械音と彼の声に体が強張る。いけない。まだベッドの上で寝巻きのままだった。
「にいさん…」
「どうした。朝ごはんできたぞ」
制服をルルーシュは入り口に立って言った。
「うん。今行く」

ルルーシュがつくった朝ごはんを食べてクラブハウスを出るとルルーシュが言う。
「寒くなってきたな」
「…うん」
僕は頷いてルルーシュの横を歩く。
誰かの隣をこんなふうに歩くことは、今までの生活では考えられないことだった。肌寒く感じ
る風を受けながら、僕はぼんやりと考える。なんでこんなことを考えるのだろう。
「ロロ…ロロ」
ルルーシュに呼ばれているのに気付いて僕は顔をあげて立ち止まる。
「あ、なに?兄さん」
数歩先を歩いていたルルーシュは僕のほうへ歩み寄ってきた。なんだか心配そうな顔をしてい
る。
ルルーシュは少しかがんで、僕の額を触った。冷たい指が触れて、びくりと体が揺れる。
すると兄さんは驚いて息を飲んだ。
「おまえ、熱があるんじゃないか?」
ぎくりと心臓が音をたてた気がした。
「た、たいしたことないよ」
僕の返事にルルーシュは怪訝な顔をする。
「朝から少し様子がおかしいと思ってたが…」
「大丈夫、すぐよくなるよ」
僕はルルーシュと一緒に学校に行かなければならない。登校して、教室が分かれるまでルルー
シュと一緒にいることは僕の任務だ。
考えている間にも体は熱くなるようだ。額に感じるルルーシュの冷たい指先の感覚も徐々に薄
れていく。
「ルルーシュー!ロロ!おはよっ」
後ろから声をかけられる。僕が振り向くまでもなくその人は隣に来た
「そんなところで立ち止まってどおしたの?」
「会長」
ミレイ・アッシュフォードは僕を見てきょとんとする。
「やだ。ロロったら顔真っ赤よ。熱でもあるの?」
「ちがっ…」
「違くないだろ、ロロ」
僕の言葉を阻止してルルーシュは厳しい口調で言った。はじめて怒られた気がして僕は言葉を
止めてしまう。
「どうみても風邪だな。今日は休もう」
「最近、急に寒くなったからねぇ。ロロ、無理しちゃダメよ」
ああ、どうしよう。帰されてしまう。
なんとか抗議しようと顔を上げると兄さんは笑っていた。
「会長、そういうことなんで、今日は俺も休みます」
「え」
「そうね。ヴィレッタ先生にはあたしからちゃんと言っておくわ」
僕はルルーシュとミレイを交互に見る。ミレイは笑って僕の頭を撫でた。
「ロロ、お兄さんのいうことちゃんときいて、ゆっくり休むのよ」
優しい声。
じゃあ、また夕方にでも様子見に行くわ、とミレイはルルーシュに告げて学校へと行った。
ルルーシュはそれを見送ってから僕を支えるように手を肩に回すとくるりと学校に背を向けた
。
「あんまり無理するなよ」
ここにも優しい声。
ここはおかしな場所だ。
僕はぼうっとする頭で混乱しながら、ひとまずルルーシュの傍を離れずにすみそうで胸を撫で
下ろした。家の中なら監視カメラがある。
それが油断だったのか、急に足もとがおぼつかなくなって、ルルーシュの骨ばった肩に頭を預
けてルルーシュに助けられながらクラブハウスまで戻った。

ルルーシュは僕の制服を脱がしてパジャマを着せ素早く寝かせるとどこからか加湿器とタオル
と水を持ってきた。
他人に服の脱ぎ着をさせるなんて、考えられないことだ。だけど、風邪の看病をしてもらうな
んて、もっと考えられないこと。
「兄さん…学校はいいの?」
恐る恐る聞くとルルーシュは笑った。
「一日ぐらい行かなくたって何も変わらないさ」
言いながら兄さんはタオルを絞って僕の額に乗せる。冷たさに体が震えるが心地よさのほうが
勝る。
「ごめん、冷たかった?」
「ううん…」
どんな顔していいのかわからない。とにかく僕は動揺している。
「ロロは昔から体が弱いんだから、具合の悪いときはいつも一緒にいるだろ?」
その言葉に僕ははっとする。ああ、そうか。そういう<設定>なのか。
胸が少し痛んだ気がした。
けれどそれよりもっと頭はぼうっとしていて、うまく考えがまとまらない。
もし家族がいたら、こんな感じなんだろうか。
「最近、なんだか遠慮がちだな。昔はすぐ甘えてきたのに」
ルルーシュは苦笑しながら言った。
僕のことを彼は妹だと思っているんだ。
どんなふうに甘えるんだろう、彼の妹は。
ルルーシュは僕に目線を合わせてにこりと微笑む。
「随分、学校に行きたそうだったけど、今日行かないと困ることでもあったのか?」
どきりとして僕は目をそらす。
「ううん…」
ちらりと見ると僕の答えにルルーシュは目を細める。僕はやっぱり目をそらしてしまう。
すると布団の上に出されていた手が冷たい掌で包まれる。
驚いてルルーシュを見ると彼は笑っていた。
「ロロ、ゆっくり休め。ずっとここにいるから」
ずっとここにいるから。
どうしよう。涙なんて、知らないのに、今はそれが零れそうだった。

それから僕は眠ってしまった。
夢は見たかもしれないけど覚えていない。
それぐらい深く。

目が覚めたとき、布団の上で繋がれていた掌はなくなっていて、すっぽりと僕は布団に包み込
まれていた。
何時間経ったのか。
廊下からぼそぼそと聞こえてくるルルーシュの声でゆっくりと僕の頭は覚醒していった。
部屋は薄赤く染まっている。そんなに長い時間僕は眠っていたのか。
「…はい。ありがとうございます。大丈夫ですよ。はい…。それじゃ」
電話をかけているようだった。
声が途切れて部屋のドアが開きルルーシュが入ってくる。
「ロロ、起きたのか」
ルルーシュは私服に着替えていた。
「兄さん…」
ルルーシュは僕の傍に寄りながら尋ねてくる。
「気分は?」
「もう、だいぶ…」
そうだ。今日の分、ちゃんと報告しなければならない。といっても報告できることは、自分の
失態のみだけど。
急に現実に戻ってきた頭でぐるぐると考えていると、こつりと額にルルーシュが自分の額を当
ててきた。
「…!」
「ん…だいぶ下がったみたいだな」
紫の瞳がすぐそばにある。
僕が硬直している間にルルーシュはゆっくりと起き上がった。
「でも今日はずっとゆっくりしていろ」
だめだ。ゆっくりはしていられない。報告にいかなければ。
どうやって抜け出すか画策している間にルルーシュは新しいタオルをしぼりながら言った。
「そうだ。さっき会長から電話があって、ヴィレッタ先生がお前のこと心配してたそうだ」
「え…?」
「今日はおとなしくしてろって」
今日は報告にこなくていいというメッセージだとすぐにわかった。
ルルーシュは続ける。
「いくら俺でも弟がこんなときに連れ出したりしないさ。なぁ」
そして僕を見て微笑む。それはたくさんの人間や兄妹を殺したテロリストとは微塵も疑えぬよ
うな、心からの微笑みだった。
弟がこんなときに。
だめだ。どうしても混同してしまう。
これはナナリーへの笑顔。
そう、この非道のテロリストは、こんな屈託のない笑顔をたったひとりの妹だけには見せるの
だ。
思ってはいけないことを、僕は思ってしまう。
どうしてこの人があんな事を起こしたのだろう。
そして。
もし、僕に家族がいたら。
ずっと一緒に。

にいさん。










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